改めて歴史を学ぶ

自分を生きるため、新しい知識を得ることに取り組んでいるが、その知識が生まれた経緯や背景を含めて俯瞰的に理解をしたいという思いから、今、改めて歴史を学んでいる。

知識というものは、所詮、人が体系化したものであり、その知識が生まれた背景にある社会状況や歴史的な経緯によって、抑圧されていたり歪曲されていたりするものだ。知識を体系化した人物の持っている心の傷が引き起こす痛みが、そのまま、その知識自体にも反映されて、知識が暴力性を帯びたり盲点を持つのである。知識が持っている歪みや暴力性、盲点を把握するという意味でも、歴史を学ぶことは重要であると思う。

今、高校の世界史の教科書を一般向けに改編した書籍を読んでいる。古代の章を読み終え、中世の東アジア史を読み進めているところだ。

学生の頃には気付かなかったが、取り上げられている地域や、詳細な史実が示されている時代はかなり限定されており、これは"世界史"と呼べるものではないと疑念を感じた。また、文中には、多くの解説のない歴史上の地名や用語が、唐突に出てくる。書籍を読みながら威圧感を感じ、世界史、さらには歴史学というものが近づき難いものであると感じられた。(学生の頃、"歴史"と仰々しく銘打たれたものが、このような内容の文章で示されていたのだから、それは歴史が好きになれなかったのも当然だ。)

文中には、飲み込めないコラムもあった。あるコラムでは、古代ヨーロッパの女性の身分について書かれていた。当時、女性は強烈な差別の対象とされていることが示されているにも関わらず、コラムの最後では「当時の女性は、そのような扱いをどのように感じていたのだろう」と締めくくられており、違和感を感じた。あたかも、差別があっても仕方がない、という主張を感じる文であった。また、他のコラムでは、古代ヨーロッパで武功を成し大国家を作りあげ、また知識人としても活躍した武将を褒め称えていた。たとえ、大きな戦果を成し遂げた人物であろうと、戦争という暴力を主導した人物であり賞賛をすることはできない。言及すべきは人物の成果ではなく、その時代にそのような大きな暴力が生まれた根拠ではないだろうか。著者が"歴史"という像を崇拝して、人のあり方を見失ってしまったのだろうか。

また改めて、現在、日本で歴史学として取り上げられる歴史が主として戦争の歴史であり、暴力の歴史であることを感じた。歴史では、争いの記録と、権力の変遷が示されている。これは、人が、生きることを暴力の連鎖であると捉えている証しではないだろうか。歴史学というものが、暴力を讃えるために、暴力に要請されて生まれたものなのかもしれない。

日本における歴史学とは、元は西洋で生まれた歴史学を、日本の都合に合わせて塗り替えたものであろう。歴史を正しく学ぶためには、まず"日本の歴史学の歴史"を学ばなければならない。

このように、"歴史"という知識も、"歴史"という知識がもたらされた背景によって、歪みや暴力性、盲点を持っているのである。

知識には、知った後に生き生きとした感覚が湧くものと、そうでないものがある。きっと、その知識を表現する人が、自分の生命の生きる力のままに、忠実に表現をした知識は、前者になり得るのだろう。前者のような知識に触れると、生きる力が呼び覚まされる。

私が書き記した言葉は、誰かの生きる力を喚起する知識となっているだろうか。