生きていけるように出来てる
今年の3月からパーマカルチャー塾に通っている。
藤野パーマカルチャー塾のデザインコースと実習コース。それから安曇野パーマカルチャー塾へも。
合わせて月に3回、パーマカルチャー塾に通っていて、パーマカルチャー塾全部乗せの日々を送っている。当初は余裕でこなせると思っていたが、これがなかなか内容盛りだくさんの濃密講座で、なかなかにやりがいに満ちあふれていて、実は、やりがいがこぼれそう落ちそうになっていたりして、取りこぼさないようにあくせくしているのが正直なところだったりもする。
ここに、パーマカルチャー塾の講座で印象的だったことを記していこうと思う。
これまでの講座で印象的だったのは、藤野パーマカルチャー塾デザインコースの初回の講座だ。講師であるパーマカルチャーセンタージャパンの代表が、農的な暮らしを営むに至る経緯を聞かせてくれた。
代表は大学卒業後、国家公務員として10年近く働いていたが、そこでの仕事に意味を感じられなくなった。公務員というシステムに依存し、自らの手で生きる力が枯渇していることに気付き、自らの手で生きる、ということを行うため百姓の道に進んだ。そして新潟で農家を営むことにした。
初めての経験で右も左もわからない代表には、師匠にあたる存在がいた。隣の家に住むおばあさんだ。歳は80を超える。
そのおばあさんは、代々、その土地で農家を営んできた家のおばあさんで、その場所で受け継がれた農的暮らしの知恵の宝庫だ。
代表がまだ農作業に不慣れな時、分からないことがあると何でもそのおばあさんに相談した。 おばあさんは尋ねられると
「おいらは尋常小学校しか出てねえから、なぁんにも知らねえんだけどよぉ」
と、決まってこの枕詞を言い、それに続けて、全ての質問に的確な答えを返してくれた。
ある時、代表が初めてジャガイモを栽培しようと、ジャガイモの芽出しをしたが、ジャガイモが腐ったような状態になってしまった。うまくいかなかったのではないかと心配になり、おばあさんに相談に行った。
おばあさんは「腐ったみたいになってるのは微生物がジャガイモのデンプンを分解して栄養に変えてくれているからだよ。何も心配はないよ。」と答えてくれた。それに加えて
「大丈夫だ。この世界はみんなが生きていけるように出来てる。安心しな。」
と言った。
おばあさんが、その土地のそこにある世界と長年にわたって直に関わり、生きることで見えた世界の姿は、そのような姿だったのだろう。
その姿は、おばあさんにとっての世界の姿であって、他の人にとっては世界の姿は異なって見えるのかもしれない。
しかし、この言葉は、私の背中を押すのに十分すぎる力を持っていた。そして、この言葉はいつまでも私の側に寄り添っていてくれることだろう。
自分に見えた世界の姿を、その人の言葉で語ることで、誰かの命がまた息づく。
そうだ。
この世界はみんなが生きていけるように出来てる。