全ての命が、その命を全うできる世界へ

ブログを書き始めた。そう、書き始めた。

3月に、隠蔽暴力型搾取構造による欺瞞的安定システムを抜け出してから(会社員を辞めてから)、日々おもしろいことが起きているし、自分の感じていることを言葉にしてみたいという思いが芽生え、頭の片隅に「ブログでも書いてみようかな」という考えはあったのだけど、その一歩を踏み出してはいなかった。

先日、音読療法というセラピーを実践するトレーナーの、養成講座に参加したのだが、そこで、一歩を踏み出すに至る出来事があった。

音読療法とは、マインドフルネスを土台に、呼吸法、音読、共感コミュニケーション(NVC)を柱にした心身の健康法である。

その音読療養トレーナー講座で共感コミュニケーションの解説があり、そこで、今、私が気にかけていることを題材に共感コミュニケーションの手順を踏んだ。

共感コミュニケーションとは、人が抱いている感情を手掛かりに、その人が今、大事にしていること、必要としていること(ニーズ)を確かめ共感しながら、その人と非暴力的な関係を築く手法である。また、ニーズを確かめることで自分を捉え直し、自分の生き生きとした状態を取り戻す手法でもある。共感コミュニケーションでは、今、気がかりなことを取り上げ、その気がかりな出来事に対して感じる感情とその根底にあるニーズを確かめる。

私に共感してみようということになり、今、気にかけていることはないかと講師から聞かれ、やり取りが始まった。

私「今、やりたいことがあり過ぎて。どこから手を出せばいいのかわからなくて、焦りのようなそわそわした感じがあります。」

講師「やりたいことって具体的に何?」

私「パーマカルチャーを学んでいます。」

講師「パーマカルチャーを学んでるのはどんなニーズがあるから?」

私「持続可能な暮らしを作り上げてたくて。安全のニーズがあると思います。」

講師「ちょっと私は納得いかない。安全は他のやりかたでも手に入るからなあ。」

私「うーん。表現のニーズかも。自分がこうありたいと思う暮らしを形にして表現したいです。」

講師「ああ!それじゃない?それなら納得!自分の中にあるものを表現して伝えてみたいんじゃないの?それならブログでも書いて今の状態を表現してみれば?スッキリできるかもよ。」

というやり取りがあって、改めて、自分の中の表現の欲求を確かめることになった。

自分の表現の欲求だが、それを辿ると、自分の中にあるものに形を与え、それを体感、実感したいという願望があることに気づく。自分の中にあるものを自分自身で体感として感じることで、自分が"自分の中にいる自分"とコミュニケーションをし、今の自分を知ることができるように感じる。つまりは、自分で自分のことを知りたいという願望があるのだ。

今の自分を知ることで、自分を変容させることができる。現時点の自分を知り、こうありたいと願う自分のあり方へ近づくことができる。さらには、目指すところである"自分のあり方"に補正を加えることもできる。また、表現したものを誰かに伝え、誰かの反応を受け取ることでも、今の自分を知り、自分を変えることができる。表現の欲求は、自分が自分でありたいという願望にも繋がっている。

自分の内的な世界に、現実の世界のものとして形を与え、それを体感として感じることで自分の内的世界が変容する。そしてまた変容した内的世界を表現し、体感することで、再び自分の内的世界が変容する。この自己保持のためのフィードバックループ構造をめぐらせることで、私は私になることができる。

この自己保持フィードバックループのインプットとなるものは、自分の表現物だけではない。自分以外の誰かが表現したものを体感することでも、自分を変容させることができる。

世界が表現で満たされることで、人は、よりその人自身へと近づく。

そもそも自分を表現せずに生きることを、生きると言えるだろうか。自分が自分の所在を知らずに道を進むことはできない。ましてや、自分の命を、与えられたかりそめの形でかたどることは、あまりにも虚しくはないか。命の内側からあふれ出る潤沢な表現の欲求を吐露し尽くしたその時に、命は、その命を全うしたと言えるはずだ。

ところで、近頃、自分がやりたいことが何なのかを改めて考える。それはきっと、言葉で語り得るものではない。しかし、あえて言葉を与えるなら「全ての命が、その命を全うできる世界を作ること」だろう。元来の世界の姿とは"全ての命が、その命を全うできる世界"なのであろうが、今はその姿が失われているように感じる。その元来の世界の姿を明らかにしたい。

そのためにもまずは、私が私を表現し、私の自己保持フィードバックループを作動させ、私が私になることが必要だ。そして、私の表現物が誰かのインプットとなって、誰かの自己保持フィードバックループを活性化させ、その誰かが、その人自身であることを強化する。そしてまた、その誰かの表現が、別の誰かの自己保持フィードバックループを活性化させてゆく。この連鎖が起きることで、この世界を覆った霞は晴れるだろう。

そんな訳で、一歩を踏み出した。

この、世界の姿を明らかにする一歩は、誰もが踏み出せる一歩だ。