全ての命が、その命を全うできる世界へ

ブログを書き始めた。そう、書き始めた。

3月に、隠蔽暴力型搾取構造による欺瞞的安定システムを抜け出してから(会社員を辞めてから)、日々おもしろいことが起きているし、自分の感じていることを言葉にしてみたいという思いが芽生え、頭の片隅に「ブログでも書いてみようかな」という考えはあったのだけど、その一歩を踏み出してはいなかった。

先日、音読療法というセラピーを実践するトレーナーの、養成講座に参加したのだが、そこで、一歩を踏み出すに至る出来事があった。

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生きていけるように出来てる

今年の3月からパーマカルチャー塾に通っている。

藤野パーマカルチャー塾のデザインコースと実習コース。それから安曇野パーマカルチャー塾へも。

合わせて月に3回、パーマカルチャー塾に通っていて、パーマカルチャー塾全部乗せの日々を送っている。当初は余裕でこなせると思っていたが、これがなかなか内容盛りだくさんの濃密講座で、なかなかにやりがいに満ちあふれていて、実は、やりがいがこぼれそう落ちそうになっていたりして、取りこぼさないようにあくせくしているのが正直なところだったりもする。

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言葉は体感覚を切り取った記号

今、パーマカルチャーを学んでいたり、NVCを実践していたりするわけなのだけど、すごく引っかかっていることがある。

それは、パーマカルチャーを学ぶ上で"文化"という言葉を扱ったり、NVCにおいて"ニーズ"という言葉を扱ったりすることだ。

文化、ニーズという言葉に共通するのは、それらが日本語ではない、ということである。

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私のありか

私を生きる。

その時に、その"私"は、いったいどこにあるのだろうか。

少なくとも、脳で行っている思考、それ自体が私ではないと思われる。例えば「何かを食べたい。」という衝動は、身体の栄養状態によって生まれるものであり、思考から生まれるものではない。

何かをしたい、こう在りたい、という"生きようとする力"の源は、脳ではない。

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私を生きる

私達は総じて奴隷なのかもしれない。

そうであるとすれば、それは一体、誰の支配による奴隷なのか。国家、政府、企業、それとも親によるものであろうか。敗戦国の国民が、戦勝国の奴隷になっているのか。もしくは金の奴隷なのか。

いや、きっと私達は、私達自身によって支配された奴隷なのであろう。人は自分自身が持つ脳の奴隷なのだ。

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